目次
  1. 過去の技術選定を見直すか迷っている方へ
  2. 何が公表されたのか
  3. 崩れたのは前提のひとつです
  4. 「一度で作り直させる」は失敗します
  5. 公開ライブラリの畳み方も書いてあります
  6. 自社に置き換えるとどうなるか
  7. 数字の出どころと限界

過去の技術選定を見直すか迷っている方へ

数年前に決めた開発の方針が今も正しいのか、AIの進化を前に判断しかねている方に向けて書いています。

大きな会社が方針を変えたという話ではありません。どの前提が崩れたら決め直すのか、そして決め直したあと何で品質を担保するのかという話です。今回の公表は、その両方が書かれています。

何が公表されたのか

React Nativeとは、ひとつのコードからiPhone用とAndroid用のアプリを作る仕組みです。同じ機能を二度作らずに済むことが最大の利点で、その代わりに各プラットフォーム固有の機能へは層をひとつ挟んで触れることになります。

Shopifyは2026年9月10日、モバイルアプリをReact NativeからSwiftとKotlinへ戻すと公表しました。同社は2020年に全面移行を決め、2025年1月の時点でも投資を続けると書いていた会社です。

公表された内容を並べます。

項目と内容 補足
決定:SwiftとKotlinによるネイティブ開発へ戻す 全モバイルアプリが対象
方式:段階的な移行ではなく、作り直し 過去の移行では段階的な方を選択
実績:Shopアプリを試作からストア公開まで12週間 最初の移行対象
進行中:Shopifyアプリは300以上の画面を持ち年内に出荷予定 腕時計アプリや音声操作も含む
理由:AIが「二度作る」費用を変えた 判断の誤りが理由ではありません

「React Nativeは今も優れた枠組みだ」と本文に書かれています。撤退の理由は品質でも性能でもありません。

崩れたのは前提のひとつです

2020年の判断には3つの理由がありました。同じ機能を二度作らない、開発者が領域をまたいで働ける、機能の差を埋める時間を減らす。

このうち一つ目だけが、AIによって変わりました。本文の言い方では、エージェントはiOS版を参照してAndroid版を実装でき、その逆もできる。仕様とテストとレビューの節目を共有することで、二つのプラットフォームの差を埋める費用が大きく下がった。

残り二つは消えていません。二つのプラットフォームで作り、保守する費用そのものは無くなっていないとも明記されています。変わったのは、その費用が決め手ではなくなったことです。

選定を支えた3つの理由のうち、動いたのは1つ 同じ機能を二度作らない エージェントが片方を参照して他方を実装できるようになった 前提が変わった 開発者が領域をまたいで働ける 変わらず 機能の差を埋める時間を減らす 変わらず 3つのうち1つが決め手だった。その1つが外れたので、各プラットフォームに近く保てる利点が上回った
見直しの引き金は、理由の全部ではなく決め手ひとつです。自社の選定でも、どれが決め手だったかを先に書き出します。

「一度で作り直させる」は失敗します

ここからが実務の話です。本文には、やってみて駄目だった方法がはっきり書かれています。

LLMに既存のコードを指して同じ機能を一度で作らせようとしても、うまくいかない。前もって情報を集めさせ、仕様書と作業ファイルに凍結してから実装させても、出荷できない保守不能なコードが大量に出てくる

この記述は、AIで速く書けた後に判断が上流へ移るという話と同じ地点を、別の角度から言っています。仕様を先に固める方式そのものが効かないのではなく、固めた仕様を一気に実装させる形が効かないという指摘です。

通過条件を積み上げる仕組み

同社はHelixという仕組みを作りました。開発者が画面を指定すると、既存コードを読んで、数分で確認できる小さな工程の列を提案します。そして工程ごとに、次の全部を通らないと先へ進めません。

  • テストで挙動を証明する
  • 動作中のアプリと見た目を突き合わせる
  • 2つの敵対的なコードレビューを通る
  • 人がうなずく

4つ目が最後に来ています。自動の検査を3つ重ねたうえで、人の承認を外していない。しかも各レビューの指摘は記憶され、移行が進むほど自律的に回るようになる、と書かれています。

私たちが承認の仕組みは実装で確かめると書いてきた話の、良い実例です。承認があると謳うだけでなく、通らなければ次の工程が始まらない構造になっています。

速く試せないと、モデルの良さは効きません

もうひとつ実務的な指摘があります。エージェントはコードを数秒で変えられるのに、スマートフォンの模擬環境での確認に数分かかる。これが最大の詰まりでした。

そこで業務ロジックを画面から完全に切り離し、机上のパソコンで画面なしに動かせるようにしました。エージェントは専用のコマンドから状態を調べ、画面を移動し、操作を実行します。数分だった反復が数ミリ秒になりました。

どれだけモデルが良くても、自分の仕事を速く検証できなければ意味がないと本文は書いています。AIを前提にするとは、モデルを選ぶことではなく、検証を速くする設計に作り替えることだという主張です。

公開ライブラリの畳み方も書いてあります

方針転換の公表で見落とされやすいのが、周囲への影響です。同社はReact Native向けに公開してきたライブラリの扱いを個別に明示しました。

ライブラリと扱い 期限と条件
Skia:支援を継続したのち作者が引き継ぐ 2026年末まで支援、以後は別名で公開
FlashList:互換性を壊す重大な不具合は修正を続ける 週200万回ほど取得されている
Restyle:保管して終了 2026年末まで動作を維持

自社の都合で方針を変えるとき、依存している相手に何をいつまで保証するかを先に書く。受託開発でも、使っていた枠組みを変えるときに同じ整理が要ります移行の検収でテストの分母をどちら側に置くかと同じで、境界を先に決めておくと後で揉めません。

自社に置き換えるとどうなるか

この事例をそのまま真似する話ではありません。Shopifyには数百人規模の開発者と、2021年からLLMを使ってきた蓄積があります。

同じ発表に載る2種類の数字を分けて読む必要があるのと同じで、事例は自社の条件に置き換えてから使います。発注側が持ち帰れるのは、見直しを始める条件のほうです。技術選定をやり直す理由は「前の判断が間違っていた」ではなく、「決め手だった前提が変わった」。この形で書けないなら、まだ見直す時期ではありません。

そして作り直すと決めたなら、AIに任せる範囲より先に、通過条件をどこに置くかを決めます。AIが読んでいない範囲を報告しない以上、人が確かめる場所を工程の中に固定しないと、出来上がってから気づくことになります。

技術選定の見直しを検討するとき確認する5項目

  • 当時の決め手を書き出す。その選定を支えた理由を3つ程度挙げ、どれが決め手だったかを明記する。決め手が特定できない選定は、見直しの判断もできない

  • 変わった前提を特定する。AIによって費用や時間が実際に変わったのはどの理由か。全部が変わったと感じるときは、たいてい検証していない

  • 残る費用を数える。移行しても消えない作業を先に出す。今回の例では二つのプラットフォームを保守する費用そのものは残っている

  • 通過条件を工程に埋める。テスト、既存動作との突き合わせ、レビュー、人の承認。どれを何回通せば次へ進めるかを、作り始める前に決める

  • 依存している相手への保証。社内の別チーム、外部のライブラリ利用者、運用委託先に、いつまで何を保証するかを書き出す

    技術方針の見直し会議と、刷新の稟議にそのまま確認項目として使えます

現場メモ

私たちは日本側のPMとベトナムの開発チームでシステムを作っています。この公表を読んで一番刺さったのは、模擬環境の確認が遅いからモデルの良さが効かない、という部分でした。

私たちの案件でも同じことが起きます。エージェントに実装させる速さより、その結果を確かめる経路の速さのほうが、全体の進みを決めます。だから私たちが最初に手を入れるのは、たいていテストの実行時間と、確認用の環境です。派手ではないので提案書では目立ちませんが、ここが遅い現場にAIを入れても、待ち時間が増えるだけです。

もう一点、自社に不利なことも書きます。私たちは顧客の技術選定について「AIが前提を変えたから作り直しましょう」とは滅多に言いません。作り直しの費用を負担するのは顧客で、その効果が出るのは移行のあとだからです。今回のように自社サービスを持つ会社が自分の判断で決めるのと、受託で提案するのとでは、責任の置き方が違います。提案するときは、決め手だった前提が本当に変わったのかを、顧客の数字で示せる場合に限っています。

数字の出どころと限界

この記事の内容は、Shopifyが2026年9月10日に公開した技術ブログ「Native is now the future of mobile at Shopify」に基づきます。2020年の移行理由3点、コーディングエージェントによる前提の変化、作り直しを選んだ判断、Shopアプリの12週間、Shopifyアプリの300以上の画面と年内出荷、Helixの通過条件、業務ロジックを画面から切り離した経緯、3つのライブラリの扱いは、すべて同記事の記載です。

移行にかかった総工数、関わった人数、費用、移行後の不具合率は公開されていません。12週間はShopアプリ1本の実績で、他のアプリで同じ期間になる根拠は示されていません。この記事の5つの確認項目は、公開された判断の順序から発注側の論点として整理したもので、同社が示した手順ではありません。

技術の選定そのものについてはエージェント基盤を選ぶ4つの基準に、仕様を先に固める開発の見方は予測可能性の回に書いています。自社の開発方針をAI前提で見直すご相談は、お問い合わせからお送りください。

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